新・耳・袋 あなたの隣の怖い話

前回の■木原氏に物申すでも言っていた、「新耳袋も好き」という証明ではないが(笑)、第一夜に関する事を書いておこう。



新・耳・袋 あなたの隣の怖い話(しん・みみ・ふくろ あなたのとなりのこわいはなし)
木原浩勝・中山市郎:共著 扶桑社 1990年9月5日初版第1刷発行*1

まえがき
第一章 幼い時に見聞きした六つの話
第二章 大学時代に見聞きした七つの話
第三章 車や路上に出るものの十三の話
第四章 家の中に出るものの十六の話
第五章 得体のしれないものの六つの話
第六章 写真やビデオに写るものの八つの話
第七章 狐狸妖怪を見たという十三の話*2
第八章 不思議な空間の六つの話
第九章 植物に関する三つの話
第十章 死んだ者に関する十三の話
第十一章 聖域であった三つの話
第十二章 "くだん"に関する四つの話
第十三章 百物語に関する不思議な二つの話
あとがき*3



「100Stories From the Dark Side 新・耳・袋 あなたの隣の怖い話」は、
怪談ファンならご存知のとおり、あの「新耳袋 第一夜」の親本である。


俗に「扶桑社版」 といわれるこの書籍は1990年に発売された。
(1990年というのは「バブル経済崩壊」時期である。この時期から一般人が精神世界へ目を向けたことと今に至る怪談ブームはあながち無関係ではない…かもしれない・笑)


今でも充分に通用する洗練された装丁の「新・耳・袋」であるが、中身もそれまでの怪談書籍とは違っていた。
無駄を排した文章、これまでの怪談書籍ではなかったような不思議な話、そして全部で100話収録。
「読むことで百物語を一人で行う事ができる」言わば実用怪談書籍だろう。
今読み直しても色褪せない面白さの「新・耳・袋」だが、流石に恐怖といった視点で見ると、そこまで怖くはない。面白くないわけではないのだが、震え上がる怖さの話はあまりないのだ。おまけに「都市伝説」が元ネタと分かる話が堂々と入っていたりする(これは後の巻でも言える)のが微笑ましい。

だが、読み終えてから、突然恐怖がこみ上げてくる。
ぼんやりと布団の中で読み終えた話を反芻していると、じわじわじわじわと何かが迫り来るような感覚がしてくるのだ。
「もしかしたら」「あの隅に」「布団の上に」「カーテンの隙間に」など闇の中の景色が恐怖で彩られるのである。
百物語を終え、一人で肝試しをしているようなものだろう。
そういう恐怖を味わえる怪談書籍として、お勧めしたい。


私自身は「新耳袋」を「積み重ねていく怪談」と位置づけている。
怪談の小片を百話積み重ねる事に意味がある怪談書籍なのだ。
そして、巻数を積み重ねる事によって、それぞれの話・巻が補完し合い更に新しい恐怖を導き出す、と。それはパズルの様であるし、点描派の絵の様でもある。
「積み重なっていく怪談」が第十夜で、どう決着がつくのかが楽しみである。


蛇足的雑談。
扶桑社版は100話。メディアファクトリー版・角川文庫版は99話収録。
それなのに旧版(扶桑社版)と内容は変わっていないという。それは何故か。
実は「第七章 狐狸妖怪を見たという十三の話」の<お寺の大天狗その一・その二>が一話にまとめられている為。理由は<百話きっちり入っている扶桑社版を読んだ人たちに怪異が起こりまくった為>と言われている。ちなみにメディアファクトリー版には表紙裏に何かの印が印刷されており、それで何も起こらないように封じているという噂もある。←未確認。
しかし、同じ内容の本が3回作られて、3回とも売れているのが怪異と言えば怪異だよなぁ<ボソリ。


正直に言うと、完成度は扶桑社版>メディアファクトリー>文庫、だろう。
それぞれに良いところはあるのだけれど、実話怪談書籍としての完成度は扶桑社版が一番。
だが、それぞれに良いところがある。メディアファクトリー版には表紙カバーの下に楽しみがあるし、文庫は何より手が汚れないし持ち運びがし易い。
でも、書籍自身の完成度といった観点で見ると扶桑社版に軍杯が上がるのである。
更に文句をつけると、文庫版の序文と巻末の解説ははっきり言って要らないのではないか。
特に京極夏彦氏の序文は、新耳袋を読もうとする気持ちを萎えさせる(ファンに怒られそうだな)。新耳袋に読者が求めているものと序文が相反しあっているというか。
大体、最近の新耳袋の「怪談は高尚なものである」という押し付けに近い姿勢にはほとほと困っているって言うのに…さ。
実話怪談はすでに読書の一カテゴリとして一般に認められている、と私自身は思っている。もちろん文化の一つでもあるだろう。民俗学的フィールドワークが云々とか、そういう風に論じる事ができるジャンルだとも認識している。
しかし、「怪談は娯楽の一つである」ことを自覚出来なくなったら、それは怪談の死でしかない。怪しい話を談じているだけ、という単純な部分を忘れて「文化だ、高尚だ」と言われても、説得力はない。過去からの怪談の伝わり方を考えるとその辺りは分かるだろう。
読み終えた後に「んー、怪談は文化だ!」と言わせるより「んー、今回も面白かった!」と言わせた方が何倍も素晴らしいと思うのである。評価をするのは、著者や解説をしている作家や著名人だけではなく、普通の読者である事を忘れてはいけない。


と文句を言いつつ読もう!新耳袋!と誤魔化してみる。


新耳袋―あなたの隣の怖い話

新耳袋―あなたの隣の怖い話

新耳袋―現代百物語〈第一夜〉

新耳袋―現代百物語〈第一夜〉

新耳袋 第一夜 現代百物語 (角川文庫)

新耳袋 第一夜 現代百物語 (角川文庫)

*1:※現代百物語 新耳袋 第一夜(メディアファクトリー版)1998年4月12日 初版第1刷発行 現代百物語 新耳袋 第一夜(角川文庫版)平成十四年 六月二十五日 初版発行(2002年)

*2:メディアファクトリー版・角川文庫版は<十二の話>

*3:メディアファクトリー版は東雅夫氏の解説が入る。←これに出て来るSさんは加門氏?角川文庫版は、木原氏による文庫版あとがきと高橋克彦氏の解説<怖さの秘密>が入る。