復活してもいいですか?

そろそろ更新を復活させようかと思いましたが……。
踏ん切りがついておりません。
でも、ちゃんと管理をしている事を示しておこうと(笑)ちょっと更新です。


AMAZONにてちょっと面白いレビューが上がっていたので、ちょっとこれを取り上げて
みたいと思います。某妖怪怪談書籍に対するレビューです。
AMAZONのレビューにコメントをする機能がないので、仕方なくBlogの方でコメントさせ
ていただく、といった方向で。
これを書いた方が見て、ここでコメントを返してくれないかな、というのも目論んで
おります(笑)。
それが、読者同士のコミュニケーションであり、前向きな議論に繋がると思うんですが、
いかがでしょう?


最初に断っておきますが、レビューと言うのは自由です。
こういう意見もある事でしょう。私だって、好き放題書いておりますから。
単なる「こう思うんだけどなぁ」と言う一怪談ファンの戯言と思ってください。
まずは<原文ママ>で。


聞き取り調査をやっている人間として, 2005/06/25
レビュアー: カスタマー   東京
これをファンタジーというならわかるが、実話とかかれるとうんざりしてしまう。
読者として思うのは、怪談としてはよくできているが、実話怪談とは思えない。
自分は民話の採集をやっているが、日本中の民話の会や、民話採集家が千人以上、既に
50年間、聞き取りをやっている。
その聞き取り人数は数万人に及ぶが、こんな妖怪談は一度たりともあがってきていない。
子供から大人まで、全国の現代民話研究家が、数万人に聞いても出てこないレアな話が、
一人の著者の聞き取りで、50話も出てくるとは不可解。
例え、レアな話であっても、妖怪談は基本的なストーリーラインがあり、それから逸脱す
ることない。
著者の周りだけ、特殊な民俗社会という事は考えられない。これを現代の民話、妖怪談と
いうのは納得できぬ。

創作怪談とするなら一級の作品である。


……少し、分かり難い部分があるようです。
僭越ながら( )は私が行った修正箇所になります。

これをファンタジーという(の)ならわかるが、実話とかかれるとうんざり(と)してし
まう。
読者として思うのは、怪談としてはよくできているが、実話怪談とは思えない。
自分は民話の採集をやっている(。)
(また、)日本中(の)民話の会や、民話採集家が千人以上、既に50年間、
聞き取りをやっていること(はご存知だろうか)。
その(研究者達の)聞き取り人数は数万人に及ぶが、こんな妖怪談は一度たりともあがっ
てきていない。
全国の現代民話研究家が、数万人に聞いても出てこないレアな話(としか思えない体験談
が)、(たった)一人の著者の聞き取りで、50話も出てくるとは不可解。
例え、レアな話であっても、妖怪談は基本的なストーリーラインがあり、それから逸脱す
ること(は)ない。
著者の周りだけ、特殊な民俗社会という事は考えられない。これを現代の民話、妖怪談と
いうのは納得できぬ。

創作怪談とするなら一級の作品である。

色々と修正してみましたが、余計分かり難くなったかもしれません。
結局、このレビューの論旨は「実話怪談と名乗っているが、実話じゃないだろう?大体、
民話の採集をやっている自分には聞いた事がない物ばかりであり、全国の研究者もそう思
っているはずだ」と言った所でしょうか?……あれ?どっかで聞いたような話(笑)です
ね。あれも「某妖怪怪談は創作だ!」と噛み付いておりました。


まず、このレビューの弱点は、
「民話の採集をやっているのにも拘らず、穴がある」といったところでしょうか。
多分のこのレビュアー氏は「現代民話」というフィールドで「妖怪」研究していると
言ったところでしょう。すなわち「妖怪研究家」のフィールドに掛かっているのでは
ないか、と想像します(理由は、妖怪に拘っている点、〜50年の下り、その他ですが)。



・レアな話であっても、妖怪談は基本的なストーリーラインがあり、それから逸脱すること
(は)ない。


実は、民話と言ってもヴァリエーションは意外とあるものです。
所謂「伝統的な民話(桃太郎や瓜子姫など有名なストーリーラインを持つもの)」に関し
ては、レビュアー氏の言うとおりです。
しかし「現代民話」や「他の民話」となると、不可解な出来事の聞き取りなど多数存在
します。
まさか、民話を研究していて「松谷みよ子氏」を知らないわけでもないでしょう。
それに図書館や書店に行けば、こういう類の研究書などは色々な著者が書いて沢山あり
ます。
それらを読んでみると、基本的なストーリーラインから逸脱したものも沢山含まれて
いる事に気付くでしょう。
よって、この部分は少しおかしいかな?と思います。



・その(研究者達の)聞き取り人数は数万人に及ぶが、こんな妖怪談は一度たりとも
あがってきていない。


というのも、前出の理由で却下でしょう。
〜一度たりとも、と言う意見はレビュアー氏個人の意見ですが、
こういう書き方をすると、民話研究全体の意見に聴こえるから不思議なものです。


・これを現代の民話、妖怪談というのは納得できぬ。


民話と著者は言っていませんし、妖怪談という名称につっこみのもお門違いではないか
と思います。
これが研究書であれば、そういった意見も出るかもしれません。
納得できないのは、研究者だからかも知れませんが……。
逆にこう考えられないでしょうか?
「もしかすると、拾い損なった妖怪談がここに出た!」と喜んでみるとか(笑)。


・実話とかかれるとうんざりしてしまう。


レビュアー氏は「実話」でない理由を「民話収集の中でこんな話は存在しないから」
と言います。ちょっと論旨がおかしいかもしれません。
確かに民話を集めるフィールドワークと、実話怪談の蒐集は似ているかもしれません。
けれど、民話を集めるのと、実話怪談を集めるのは根本で違う部分があるのではない
でしょうか?
それなのに「民話に存在しないから」実話ではない、というのはどうなのでしょう?
「創作である」と決める為の決め手に欠ける、と言わざるを得ません。


個人的に「創作」「実話」という論争は好きではありません。
けど、こうやって、色んな意見が出るのが実話怪談の面白いところですね。