日本幻獣図説

湯本豪一氏による「幻獣(妖怪にあらず)」本。
豊富な図版と的を得た説明文は資料本として役に立つのでは?


1章は「幻獣名鑑」。
「河童・鬼・天狗・人魚・龍・雷獣」などの有名どころがまとめてある。
2章は「予言する幻獣」。
かの「件」や「アマビコ」等の予言をするものたちについて書かれている。
この「アマビコ」の図版がイカス(笑)。
3章は「記録の中の幻獣」。
江戸・明治時代の報道関連の視点と、デザインについて。
氏の他の著作でもおなじみの章でもある。
4章は「幻獣の背景」。
これはそのままの意味である。


凄いのは全く押し付けがましさがない点だ。
これはまえがきである「はじめに―幻獣とはなにか」を読んでくだされば分かるだろう。
「是か非か」「居るのか居ないのか」両極端でデジタルな思考をする研究者にはない、柔軟
かつ真摯な姿勢に思わず頷いてしまう。
ただヒステリックに「脳内」がどうとか、「捏造」だとか、「心霊的に」とかそういった
自分を殻に閉じ込めるような発言をするよりも、こういう自然な立ち位置での発言の方が
実に説得力がある。この辺りは某研究家にも見習ってほしいものだ(笑)。


ただなんとなくページを繰って図版を見るのも楽しく、真剣に読み込んでも面白い一冊だろう。

日本幻獣図説

日本幻獣図説

そろそろ。

色々新規に読んだり再読いたしましたので、感想を書いていこうと思っています。
一部は書き進めておりますので、近いうちにUPできるのではないかと。
締め切りのない事なので、いつ、という確約が出来ないのが素人故ですね(笑)。


北野翔一氏「本当にあった恐怖体験実話」
高橋克彦氏「黄昏綺譚」
新倉イワオ氏「恐怖!あなたの知らない世界」
湯本豪一氏「日本幻獣図説」
他色々…です。読む速度と書く速度が遅いのは仕様…ということで。


新倉イワオ氏はタイムリーかもしれませんね。
幽第4号にて加門七海氏との対談が載りますから。
子供の頃からお世話になった方ですが、何故か一冊も手元になくて…。
人に貸して旅に出たり、捨てられたりなど下のだと思うのですが、無念です。


「日本幻獣図説」は怪談書籍ではございませんが、面白かったので紹介を。
実に柔軟な姿勢で書かれた書籍で、良心的です。
凝り固まった自意識をごり押しすることなく、読み手に語りかける…と
言う雰囲気で、実によいです。
あ、詳しくは次の機会に(笑)。


研究をするのもいいですが、ほんわか楽しんでいきたいものですね。妖怪。

怪を訊く日々

福澤徹三氏の実話怪談本である。
メディアファクトリーの「怪談双書」と最近出た「幻冬舎文庫版」の二種類あり。
文庫版は加筆修正あり(一部の話は再取材をしている))


福澤徹三氏といえば今活躍中の小説家である。
俗に言うホラー小説系や青春小説(真夜中の金魚)など精力的に発表。
最近特に評価の高い小説家の一人だと思う。


氏のホラー小説は、中年男性の悲哀や人間関係の歪などに怪奇を絡めていくことが多い。
その怪異部分の所々に『実話』を忍ばせる手法を取っているせいか、実に怖いのだ。
フィクションである小説の中に実話を忍ばせる手法は昔から使われてきたが、それを違和
感なく使いこなす点において、福澤氏はかなりのセンスを持っているに違いない。
(実話怪談的手法を小説に使う事によって、リアリティを生み出す…と言う方法なの
だろう。この真逆を行くのが加藤一氏の「「弩」怖い話シリーズ」である。<実話怪
談を小説的手法によって描く>のだから)


さて、そのホラー小説家である福澤徹三氏が書いた実話怪談集。
それが「怪を訊く日々」だ。
現在、『幽』紙上において連載されている「続・怪を訊く日々」の元となったものである。
スタイル的には「聞き書き怪談集」であり、新耳袋「超」怖い話に近い。
個人的には「小池壮彦氏」や「樋口明雄氏」の匂いも感じる。
全体的に「漢臭い」実話怪談集…とでもいおうか。
この辺りは個人的感覚なので、正しいか正しくないかは分からないのだが(笑)。
ディテールを楽しむという部分ではどちらかというと、かなり「小説的」であるといえるだろう。


文章も安定しており、全体の構成もツボを心得たもので、実に楽しく面白く読むことが出来た。
(福澤氏本人は文章に満足していないらしいが…。この向上心がプロたる所以だろう)
好きな話は数あれど、一番インパクトがあったのは「花嫌い」だ。
明確な怪異が起こったわけでも、体験したわけでもないのだが、文章の端々から怪しい匂いが
沸き立つような一話だ。これもやはり怪談のかたちのひとつ。
福澤氏の怪談は、こういう「不条理」なものが多い。
幽霊が出た!とか見た!とかそういった怪異ではなく、心の裏側に侵食してくるような話。
それが「福澤怪談」なのだろう。
是非、早いうちに「続・怪を訊く日々」も刊行していただきたいものである。

怪を訊く日々 (幻冬舎文庫)

怪を訊く日々 (幻冬舎文庫)

怪談は、誰のもの?

某所にて話題になっている「怪談の著作権」。
発端は、中山市朗氏(新耳袋著者の一人)が主催する「怪談夜話」の体験談募集。
『怪談夜話』
怪談夜話自体は、「怪談を聞く側から語る側になりませんか?」というイベント。
事前に打ち合わせをして、壇上で体験者自らが語る、といったものらしいです。
企画としては面白いと思いますし、怪談はやはり語りありきだと思っています。
しかし、問題となった一文は以下の通り。

※提供して頂いたお話についての著作権は「怪談夜話」が保有する事になります。

そう、体験者が語った怪談の著作権は(C)Kaidanyawaに移動します。
こういった権利関係については詳しくありませんが、ちょっとどうかな?と思いました。
著作権については下のリンクを参照の事)
著作権情報センター
調べていくと結構曖昧なんですねー、著作権


実話怪談の場合「体験談」が創作じゃない限り、そこに著作権は発生しないと思うんですよ、個人的には。
もちろん、語りをDVDやCDにしたりすれば、それは「著作物」になり著作権も発生するでしょう。
しかし、怪談夜話は話の内容自体に「著作権」を発生させて、管理しようとしてます。
単なる予想ですが、怪談夜話の主張する「語られた怪談は怪談夜話に著作権」発言は、
「他所で営利目的利用」をさせない為の予防線を張ったのではないか?、と思うのです。
他の怪談著者や体験者が「怪談夜話で語った怪談」を営利目的で使う事を禁じておけば、何らかの抑止力になる、と踏んだのでしょう。
(今でもいざこざのある稲川氏の一件も関係しているのでしょうが……)
結構な力技ですね(笑)。


例えば、Aさんが体験した話をBさんが怪談夜話で語ったとしましょう。
その時点で「(C)怪談夜話」になってしまいます。
が、Aさんはそれを知らなかった。
そんな状態でAさんが自分でその体験談を本にしてしまった、とすると……?
怪談夜話から「その話の著作権は怪談夜話にある!書籍の回収&謝罪文の掲載・賠償金だ!」
と主張できるわけです。
ですが、Aさんはこう主張するでしょう。
「これは自分の体験であり、文章は自分で一から書いたものだ。著作権は自分にある」と。
それでも、怪談夜話側はそんな主張を突っぱねる事でしょう。
「サイトとか見るように。怪談夜話で語る=著作権の譲渡を認めるということだ」と言う風に。
しかし語ったのはBさんです。さて、この場合はどうなるのでしょう?


また、これだと怪談のオチが被っただけでも、著作権侵害の主張が出来る事になりますね。
「最後の<黒い影がすっと消えた>というのは、うちの著作物の中にある<黒い影が消えた>という話のオチに酷似している!」
と言う風な(笑)。いや、笑い事ではなく、真剣にありそうで怖いんですが……。
(怪談夜話の著作権云々を「あり」と考えると、話の提供者は<著作権>を主張できるようになるんですよね。普通はしませんが)




実話怪談書籍の場合、「著作権がどこで発生するか・どこに発生するか」が重要です。


1)怪異が起こった
2)その体験を実話怪談著者に送るor語る。
3)著者が体験者を取材する
4)著者が文章に起こす ※多分ここで著作物と認識される。
5)編集などした後、販売
6)提供者に謝礼として献本など


実話怪談の場合、著作権が発生するのは主に「文章」に対してです。
作家が「聞いた話を書き起こした時点」で、その文章自体に著作権が発生します。
逆に話の内容に関して著作権を主張するのは難しいのでしょう。
(発売前・後に話のネタばらしをするのは営業妨害に当たるようですが)
ということは
『同じ体験者から、同じ話を聞いて、別々の著者が文章化して本を出してもOK!』
なんですよね。極論ですが(笑)。


それを踏まえると、実話怪談本は「ルポルタージュ」本だと認識した方が良いようです。
上の1)を事件が起こった、とかに差し替えてみてください。色々共通項が見つかるはずです。
(「実話怪談本=ルポ本」だとすると「語られた体験談」に著作権を発生させるのは問題あり、と思うのですが…)


著作権で思い出しましたが、あの山口敏太郎氏のサイト「妖怪王」には、確かこんな一文が。
「この掲示板に書き込まれた内容・文章の著作権はサイト妖怪王に帰属します」(うろおぼえ)
ということは、書き込んだ時点で著者は著作権を譲渡することになるんですねぇ。
これもやはり怪談夜話と同じで「予防線」なのでしょう。
だから「投稿された文章をそのまま転載して本を出し」ても問題じゃないのです。
問題ではないのですが…(苦笑)。言いたいことは察してください(爆笑)。
中山氏の場合も山口氏の場合も「占有」という言葉ががキーワードになりそうですが……。


こういった「怪談(の内容)の占有」が起こった場合はどういう問題が起こりうるでしょうか?
そして、そこまでされて体験者が話を積極的に提供するでしょうか?
実話怪談書籍の未来を狭める結果にならないでしょうか?


これからの実話怪談界は「著作権」が良くも悪くも重要なファクターになりそうです。

AMAZONレビュー。

某所で話題になっていたように、某著者のAMAZONレビューが大荒れ(?)ですね。
特定の著者の作品を貶めるようなレビューが連投されたりして、まさに「変なレビュー」
です。(ちなみに、その変なレビューをよく読むと、同じ論旨で似たような文体。複数人
のレビューがかぶったのか、それとも……?ま、以前の騒動のあれが絡んでいるような気
もしますが)
そういえば、いつもその著者の方の作品をレビューされていた方数人いらっしゃいます。
が、今回はレビューされていなかった(もしかしたら、レビューを送っているが掲載が
まだ?)のは、無言の抗議か何かでしょうか?


ということで、その「変なレビュー」を読んでいて、
『AMAZONレビューが一方通行である事が問題では?』
と思いました。書き逃げと言うか、なんというか。
後は「参考になった・ならなかった」「他のレビューを書く」くらいしか出来ません。
でも、全てのレビューにコメントとかを書き込めるとしたら、それはそれで問題が起き
そうですけどね(苦笑)。


AMAZONは投稿レビューを一度読んでから掲載しているようです。それでもやはり
全ての書籍に詳しいわけでもないでしょうから、悪意や誹謗中傷がない限りそのまま載
せます。それが原因で今回の様な「変なレビュー」がさらっと掲載されるのでしょう。
通常のユーザーは、そこに書いてある事をそのまま信じる事もあるでしょうし、星の数
が全てです。レビュー数が多く星も多ければ、パッと見「いい本だ」という印象が与え
られるのではないでしょうか?
ちょいと慣れた方なら、『AMAZONレビューは参考程度』とご存知でしょうが、や
はり一見さんにとってはレビュー=きちんとした書評・評価だと思うでしょうから……。
一応AMAZONは「※ カスタマーレビューは他のお客様により書かれたものです。ご
購入の際はお客様ご自身の最終判断でご利用ください。」と注釈をつけておりますが…。



個人的には「何故こんな事をしてる人がいるのかなぁ」という部分に興味があります。
是非、あの「変なレビュアー」の方にお話を聞いてみたいところです。
ご存知の方はご一報(コメント欄ありますから)、お願い致します。



と、書いてきましたが、
『ブログで好き放題、自分の主観で感想文を書いては貶めているお前はいいのか?』
という事を言われそうだな、と。
えー、このブログは確かに個人的感想文ブログです。かなり主観に左右されます。
単なる好みで「好き・嫌い」を書いたりしますが、貶めるという目的で書いているわけ
ではございません。…というと、「じゃあ、山口敏太郎氏のあれはなんだったんだ?
新耳袋のあれはなんだったんだ?」とおっしゃる方もいらっしゃる事でしょう。
あれも「ちゃんと自腹を切って購入して、きちんと読んでから書いた感想」であったり
「ここは少し問題ではないか?」と思った事を書いただけであって、貶める為に書いた
のではございません。
そして、私の書いたことにちゃんと反論・質問出来るように「TB」「コメント欄」は
ちゃんと残してあります(宣伝目的のTBやコメントは削除しますが)。
私の主観で書いたことに対して、「こう思う!」「それは違う!」という動きになるの
は大変有意義な事だと思っています。
そう、私の目的は「ネットの特性を活かした実話怪談読者のコミュニケーション&議論」
なんです。読者側からのアクションの一つ、ですね。
健康的な議論は大変面白く有益だと思っている私としては、そうなるといいな、と。

最近、更新をしていませんね。

いやー、忙しくてなかなか感想文をまとめる事ができていません。
色々出てるんですけどね……。


後、少し書きたいこともありました。
1)AMAZONレビューの問題点
2)実話怪談の話提供者と著作権、及びそれにまつわる事。


この二つは考えている事があるので、書きたいのです。
思う事を書くだけですので、○○論!とかそういうのではないのですが。
問題提起になればいいな、という目論見も無きにしも非ずです。
折角のBlog&ネットですからね。
色々な意見が出て、TBして、議論して…となれば。


出来るだけ早く書きます…、出来るだけ(笑)ですが。

三日やったらやめられない

篠田節子:著。
……え?何故これが怪談感想文Blogに載るのか?
それは「文藝百物語の裏話」が載っているからなのである。
なので、それ以外には触れない事をここに宣言する。
う〜ん、ジハード。


「結界内の愉悦」、これがそのエッセイのタイトルだ。
そこまで裏話的ではないが、参加者視点で書かれたエッセイ、ということで資料性は高い。
ような気がする。多分。


「文藝百物語」とは何か?というと、「ホラー作家を集めて百物語を行ってもらい、
そこで語られた怪談を書籍化したもの」である。参加メンバーも中々凄い。
一応感想も書いているので、こちらも。「文藝百物語」


で、このエッセイでは「百物語中の雰囲気」に関して書かれている。
「文藝百物語」と併せて読めば楽しめるだろう。
竹内義和氏の「都市怪奇伝説」もお勧めしておきたい。これにも関連した話がある)


加門七海氏が「霊感が強いと評判のある作家」といわれて登場すれば、菊池秀行氏が
そのまま出て来たりと楽しい。
そして、篠田氏は「最後まで全く退屈しなかった」「話芸だけで過ごす一夜。
まことに春の宵にふさわしい粋人の遊び」という。
そう「百物語」は楽しい遊びだったのである。


百物語とは江戸時代に流行した遊びらしい。
それと同時に「胆力」を鍛える為の言わば修練…だったともいう。
要するに「怖い話を夜中に語り合って震え上がりましょう」ってところか。
現代でもこういったイベントはやっているし、個人で楽しんでいる方もいらっしゃる
事と思う。
いや、何時の世も好事家はいるものだ。
(この辺りは東雅夫氏の「百物語の百怪」に詳しい)


百物語には色々と作法があるが、大事なのは「怪奇な話を百語る事」である。
単なる幽霊話でも、ちょっとした不思議でもいいのだ。
キーワードは「百」。
百をそのまま「百篇」と捉えるもよし。また「沢山」と捉えるのもよし。
沢山怪談を語り合うことで「霊感センサー」を最大限にすることが重要なのではない
だろうか。
そうしたら「百を語れば怪に至る」を体感する事が出来るだろう。



もし、百物語に興味を持たれた方で「実際にやってみた」方がいらっしゃるなら、
是非レポートを聞いてみたいものである。
実は私もして見たい(笑)のだけれど。

三日やったらやめられない

三日やったらやめられない

百物語の百怪-ホラーJ叢書 (ホラージャパネスク叢書)

百物語の百怪-ホラーJ叢書 (ホラージャパネスク叢書)