百物語 第四夜

平谷美樹氏の「百物語」もこれが最後…らしい。
第五夜があるとすれば、他の人が書くことになるだろう、という事だが……。
とまぁ、第四夜も青天の霹靂というか、出たこと事態が驚き。
こういった「次はやりません」という宣言を信用してはいけない、ということか。


今回の第四夜も、勝手に百話集まったというニュアンスで平谷氏は言っている。
果たして、勝手に集まった「百の怪異」はどんなものなのだろうか。


今回の第四夜は二部構成になっており、
・第一部が「様々な怪異」:単発の怪談。
・第二部が「霊能者たち」:見える人達の体験談。
となっている。


これらが、怖いか?と聞かれたら、こう即答する。
『怖くない』と。
怪談本が怖くないのなら、駄目じゃないか、といわれる向きもあろう。
でも、本当に怖くないのである。
どちらかと言ったら不可思議譚が多く、そこまで詰まらなくはないが、さして怖くもなく、
というジレンマに悩まされる一冊なのだ。
一つ一つのエピソードが小粒である(現代の実話怪談本ではネタ選考の時点でふるい落とさ
れるようなネタが多い)ことと、どうにも全体の流れが悪いのか、読んでも読んでも怖さが
迫ってこないのが原因と思われる。。
通常、小粒ネタの怪談書籍は「読めば読むほど怖さが積み重なっていく」のだが、何故かこ
の「第四夜」にはそれがない。
理由は多分「編集方法」ではないかと思う。
たまに光るネタがあっても、それを活かせない編集になっているので、どうにも歯痒い。
二部構成にせず、ノンストップで読ませるように工夫しながら、何箇所に山場を設ける、と
いう感じだったら……と思うのだ。


それと、巻末の付録「鼎談」も今回はキレがない。
平谷氏や編集者、大迫純一氏が鼎談をしていても、何故かイマイチ楽しく読めない。
内容が、「俺ら、オカルトを科学で語るし、その辺のビリーバーと違うもんね」という感じ
がするのが気になるのと、「霊感少女」っぽい会話が同居している部分が引っ掛かるのだ
ろう。


文章力も流石、冷静な観察眼も流石、ときに光るネタもある。
けれど、この第四夜は半端な仕上がりになってしまった。
いい加減な書籍よりも丁寧に書かれた書籍であるだけに…残念すぎる。


怪談好きにはお勧めできるが、怖い怪談や面白い怪談を望む人にはお勧めできない。

補給物資がいくつか。

・百物語 第四夜
・ふりむいてはいけない
・怪奇巡礼DVD
・妖怪ウォーカー

百物語は「あやかし通信」と合わせて紹介…かなぁ。
怪奇巡礼DVDは小池氏が大きく絡んでいるのがナイス。
妖怪ウォーカーは…今頃感がありますが(笑)。


書店に行ったら、いくつか都市伝説系の文庫やオカルトムックなど出ていましたが、
ぱらぱら捲って「イマイチ」と感じたのでスルーしました。
(発売日からずっと在庫されているので、売れてないのかなぁと思っていたのです
が……。あの手の文庫は買取なのかもしれませんねぇ。デッドストックは会社へ
大打撃を与えますから、書店さんによっては最初から発注をかけない場合があります。
幽なんか、前と比べて入荷数が激減してますし。あ、広告が増えた理由とか深読みを
始めると終わらなくなります)
前は手当たり次第買っていたのですが……。


いやーしかし、紹介をしたい書籍が沢山あるのに、中々書けずにいます。
「アレを書くのなら、これを……」とか「これ書いたらま〜たヤバイかなぁ」
とかキーボードを叩く指が(以下略)。


さてさて……。

捏造批判の落とし穴。

……実は、感想文の中からカットした部分がある。
書いている内に、ちょっと思ったことがあった。
それは感想というより、まったく別の方向に行ってしまった内容で(笑)。
なので、カットしたのだが、ここに加筆・再編集してUPする。
これも一つの意見、ということで……。



ここ最近「水木しげるが捏造した妖怪を見たという話を聞くが、それは脳内幻覚であり、
実話怪談としては成り立たない。民俗学的に云々」という話をよく見る。
要するに「水木氏捏造妖怪のインプットに侵されている為に(脳内幻覚を)見てしまうの
だ」ということらしい(「もしくは体験談も捏造ではないか」と言う話もあるが)。
待て。個人的には「居ても(見ても)おかしくないのではないか」と思う。
もちろん、幻覚である可能性もあるが、重要なのはそれらを全て否定せずに、冷静に判断
することではないだろうか。


野暮を承知で書かせて頂く。
捏造と言われる妖怪のビジュアルと同じものを見た=嘘っぱちである、という論説。
実はこの論説は大きな落とし穴に引っ掛かっているのである。やーいやーい。



■「水木捏造妖怪と同じビジュアルの妖怪はいない」という説。
例を挙げさせていただけば
1:頭がとんがって、蓑を着た背の低い人間型の何かを見た。油すまし?
  捏造妖怪論者は言う。
  「それは水木の捏造した外見であり、油すましはそんな格好ではない」


2:空に白い布が飛んでいた。手らしきものがあった。一反木綿?
  捏造妖怪論者は言う。
  「それは水木の捏造した外見であり、一反木綿に手はない」

 
実は体験者は現象については何も論じていない。見ただけなのだ。
名前も「かもね」程度であろう。
ただ、「見てしまった」事を話しているだけ(←重要)で、油を盗んだ人の化けたものと
か、山道で出遭った油瓶を提げたものとか、突然襲い掛かられて、顔を布で締め上げられ
て窒息したとかそういう話ではないのである。
見てしまった側は、自分でも信じられない出来事に自分が知っている知識で整合性を求め
るから、便宜上何らかの妖怪名を当てただけ、というのが正解だろう。
読み手も然りで「これこれこういう外見なら○○って妖怪かもなぁ」と考える。


ここである「仮説」を立ててみよう。
『実は「油すまし」や「一反木綿」ではない「全く別の何か」の可能性もある』
そう、我々の知らぬ何かである可能性もあるのだ。実際にはとんでもないものを見た可能
性が高い。
憶測で物を言わせて貰えば、昔日の人々が見た「何者か」が伝承される内に、他の現象等
とミキシングされて伝わったと考えてみると、しっくりいく。
(妖怪をヴィジュアル化する際にミキシングされてしまった、と考えるのが妥当か)
こう考えると、外見と名前と現象の三つが微妙にずれて伝わったという仮設を立てること
が出来る。
だとすれば、捏造と言われる妖怪が、実は別の何者かをモチーフにしてヴィジュアル化さ
れており、それがそのまま現代まで伝ってしまい…と考える事ができるはずである。



なのに、一部否定論者は「捏造妖怪だから、いないんだ!」と頭ごなしに否定する。
民俗学での妖怪は現象であり云々」とか「こんな話聞いた事がない」とか。
実は一部否定論者は「別の角度から見ることをしない」という研究者にあるまじき行為を
平気で行い、一方的に攻撃しているだけである。頭が固いというか、権威主義と言わざる
を得ないだろう。それかやっかみ半分なのか。
これを「狭量で視野が狭い」と言わずしてなんと言えばよいのだろうか?
「脳内幻覚」「捏造」とか言う前に、もう少しなんとかならんもんか(笑)?
とかいうと「自分は真面目に研究しているのだ!素人にそんな事を言われる筋合いはない
!」と突っ込まれそう(笑)。


と、解りづらいことをつらつら書いた(だから別項にしたのだけど)が、
個人的には「実話妖怪怪談」を楽しく読めればそれで良い、と思っている。
「いる・いない」「脳内うんちゃら」等、そんな事は言うだけ野暮。
……だよね?


おまけ。
水木しげる氏の「妖怪千体説」をご存知だろうか?
「世界の妖怪はどこの国でも大体千体に分けられる」という水木氏の主張だ。
ある国ではAと呼ばれている妖怪がいたとする。
そのAという妖怪に似た性質の精霊が他の国にいて、その名をBという。
だったら、A≒Bではないか?
それを踏まえて考えると、それぞれの国の妖怪は大体千体程度に分類できる。
という主張である。


そして、その説を裏付けるエピソードとして、水木氏が自著である「妖怪図鑑」などを現
地住民に見せると、言葉も文字も全く違う文化なのに、絵を見ただけで「これは○○とい
う精霊である」とか「これは□□という化け物で、これこれこういう悪さをする」とすら
すらと話すのだという。
そこで水木氏は驚いた。
全く説明も何もしていないのに、何故彼らは私の描いた妖怪を言い当てるのだろう、と。
(もちろん、名前ではなく、性質についてであろう)


こういう事を知ると、あながち「いない」っていえないと思うんだけどなぁ。

木槌の誘い 弐

最終巻であるこの「弐」では、水木しげる大先生(おおせんせい、と読む)の「妖怪論」
の一端に触れることが出来る。
詳しくは読んでいただくとして、簡単にまとめると、
『妖怪≒霊≒神≒精霊』
ということらしい。
精霊と書いて「カミ」と読む。
すなわち「妖怪も霊も神もすべて精霊である」という説である。
そして、その精霊とのコンタクトを取るのに「音」が重要である、と説くのである。
いや、もうこの辺りになるとなんとも言いがたい(笑)が、中々飛躍した感じで面白い。
別の方向にシフトした水木漫画のパワーを感じることが出来るだろう。
鬼多郎が活躍する話や悪魔くん河童の三平の代表作とは違った趣の「木槌の誘い」。
一読してみるのも良いかもしれない。


ちなみに、細かい遊びやギャグの部分もお勧めである。
「ふはっ」とのんきに読んでいただきたい。

木槌の誘い 壱

現代の妖怪(←褒め言葉)、水木しげる大先生のコミック。
あの『稲生物怪録』をベースに、水木ワールドを展開する怪作である。
何故今頃取り上げるのかと言うと、ここには水木大先生の「妖怪・精霊・神」の捉え方の
一端が垣間見える良作で、是非紹介しておきたいと思ったからである。
ネタ切れとかそういうことではない(笑)。


まず、「稲生物怪録」とはなんなのか。
広島県の三次(みよし)藩の藩士稲生平太郎、のちの武太夫が十六歳の頃体験した、約
一ヶ月に及ぶ怪奇体験記録である。
『いまから、二百五十年ばかり前に、広島県の三次に現れた妖怪は、連続で、しかも集団
で現れるという珍しい現象であった』(作中から引用)
というから、中々珍しい妖怪出現記録になるだろう。
詳しくはこちらのサイトを参照していただきたい。


この壱(一巻)では、稲生物怪録の内容が大まかに描かれる。
いつもの水木漫画の体裁であるが、どちらかというと抑え目の表現をしているようだ。
問題は、冒頭と最後。
ここで水木大先生の主観を交えた意見が描かれている。
『妖怪の一匹や二匹いたって何も騒ぐ事はない。あたりまえのことなのだ。ただ人間が気
づかないだけのことなのだ』とかましつつ、後半『霊学』についての話をアリャマタコリ
ャマタ先生(荒俣宏氏)を交え展開していく。
この下りがとんでもなく飛躍していているが、読んでいて実に面白い。
内容に関して議論をするのさえアホらしくなるほどの『水木大先生理論』は、読者の予想
をはるか彼方に飛び越えて展開していくのである。


『霊学とは?』『木槌の役割とは?』
全ての謎が解き明かされる(?)弐巻の感想は、近日公開予定。
全国の水木ファンからお叱りを受けるかもしれないが、お許しいただきたい。

心霊写真に関する個人的な話。

ちょうど、小池氏の『心霊写真』感想を書いたので、ついでに。


TVとかで心霊写真を扱ったものがある。ついこの間も2年ぶりに心霊写真モノをやった
番組があった。こういう番組は大好きなので(笑)笑って観ていたが、ふと「これを信じ
ちゃう人いるんだろうなぁ」と思った途端に別の意味で寒気がした。


確かに、世の中には不思議な写真が沢山ある。
どうみても不思議なものや、厭な感じを与える写真が存在している。
(個人的にはこういった不思議写真を見た事があるので、否定をしたくない。けれど、
あまりにレベルの低い捏造や鑑定が多すぎるのだ。だから文句も出る)
だが、何でもかんでも「心霊写真だ!」「先祖霊が!」「自縛霊が!」「怒っている!」
という話になって、そうこうしている内に<ちょっと心霊好きなだけの人間>が周囲の人
間に同意を求めたり、意見を押し付けてくるのが困ってしまうのだ。
何も、信じるなとか言うつもりはない。ただ、「冷静になれ」と言いたいのである。


どう見ても「撮影のミス」であったり、「そう見えるだけ」だったりする写真を鑑定して
「これは、無念の感情が渦巻いている」とか言われても、「へー」としか言いようがない。
逆に、「お前には分からんのだ」とか言われて、ふん、と小馬鹿にされてしまうのである。


まてまて、これはこうこうだから心霊写真とかそう言う類ではないだろう?と言おうもの
なら大変な事になってしまう。困るね、どうも。


「誰が決めたのか分からない理論」を振りかざして、やれ祟るだの恐ろしいだの言われた
ら、言われた方は凹むだろうし、いい気分はしない。それどころか、そう言う事を言われ
たせいで、精神を病む可能性もある。そうなると、少しの事にも過敏に反応してしまった
り、体調を崩したり、人間関係が上手くいかなくなってしまったりすることもあるだろう。
そう言う場合に「ほら、悪い事があっただろ?」としたり顔で言う連中がいる事を忘れて
はならない。


こういう人にならないための幾つかを覚え書きしておこうと思う。
「絶対にこういう写真は写り得ない!」と言うのと同じくらい、
「絶対にこういう写真が写るのには原因がある!」と言えるのだ。
もちろん、原因不明のこともあるから、それは「レア(本物)」の可能性もある。
だから、こうした分析も「胡散臭い」と言えば、胡散臭いのだ。
でも、騒ぐ前に冷静に判断するのが大人の余裕ってやつですか(笑)?
私は専門家でもないし、聞き覚えの事を書くので間違いがあっても笑って許してください
ね(笑)。

『増える・減る・変形』
手足、指等が増えた、変形したという写真。最近増えてますね。心霊写真のトレンド。
中にはマジモノもある…かも(笑)。


原因は、
・錯覚(減るものはこれが多い)
・実は悪戯
・画像処理ソフトによる加工

『光・色』
写真に光や別の色が着いて、おかしくなる写真。
赤は危険とか、緑が怒りとか「誰が決めたのか分からない」理論が跋扈する困った現象。
赤=危険は、信号機とか血の色を連想させるからかしらん?情熱の赤は不可?


原因は、
・現像ミス
・撮影ミス
・反射
・画像処理ソフトによる加工

『オーブ』
一時期流行った光の玉の乱舞。


原因は、
・浮遊物(ホコリ・雨・虫等)にフラッシュが反射したもの

『煙・靄』
「煙とか靄がないところなのに!」という事で騒ぎになる類の写真。


でも原因は大概、
・実は煙・靄があった(記憶違いや薄いもので印象になかった)
・画像処理ソフトによる加工

『顔とかが映った!』
これは二つに分かれる。


1:はっきりと写った
・映りこみ(ピカピカのガラスなど色々)
・実は本当に人がいた(もしくはポスターや写真などがあった)
・二重露光(古いなぁ)
・画像処理ソフトによる加工(レイヤーとぼかしツールなどで簡単に出来る)


2:ぼんやりと写った
類像現象シミュラクラ現象)←これで検索するとすぐ出ます
・二重露光(古いぞ)
・画像処理ソフトによる加工(本当に簡単です)

…………一部から凄く文句を言われそうな内容になってしまった(笑)。
今の時代、画像処理ソフトとスキャナがあれば心霊写真なんてちょちょいのちょい、
ということを代弁したような感じ?あらら。
もう一度言うけど、こういう写真好きだし、不思議な写真がある事は認めている。
けど…。


心霊写真を愛好する事は間違いではない。
けど、冷静さを欠いたり、思い込みで行動することは間違いであり恥ずかしい事。
研究者なら尚の事である。


でも、心霊写真、楽しいよねー(笑)。

心霊写真

2005年6月に増補版である「心霊写真 不思議を巡る事件史」が出たので、紹介する
のいいタイミング(笑)、ということで感想です。



最初に出た「心霊写真」(宝島新書版)は2000年の2月24日が第一刷発行日になっ
ている。それから5年と少し経った今、遂に増補版が刊行された。
どの辺りが「増補」がというと、「補章 新世紀の「心霊写真」」と、参考資料部分、文
庫版あとがき…と言ったところだろう。
2000年以降の心霊写真・映像についての増補がメインであろう。


さて、この「心霊写真」。
小池雄彦氏の著作だが、実話怪談ではないのである。
何かと言うと、「日本で起こった心霊写真事件史をまとめたもの」だ。
怪奇探偵らしい細やかな研究資料に仕上がっているので、実に面白い。
色々な心霊写真関係の研究書に引用されてきたことからも、この書籍の『資料性の高さ』
が分かるはずである。
でも注意していただきたいのは、この書籍は「心霊写真鑑定云々」と言った内容ではない
ということだ。怪談や心霊写真集を期待してはいけない。
勘違いをして読むと肩透かしを食う人もいるはずである。
特に「病的ビリーバー」にとっては、面白みが少ない書籍だろう。


逆に冷静な研究者にとって、これほどありがたい書籍もあるまい。
各章それぞれが有益な資料であり、様々なヒントが隠されているのだから。
もちろん、「読む知識エンターティメント」としても楽しめる。
「日本で一番古い心霊写真とは?」
「心霊写真は元々なんと呼ばれていた?」
「何故、<写真を撮られると魂をが吸い取られる>といわれたのか?」
「あの有名な心霊写真事件はいつだった?」
「何故、あの写真はあんな騒ぎになってしまったのか?」
等、知識欲を満足させる事、間違い無しだろう。


心霊写真に興味のある方は、是非ご一読を。

心霊写真 不思議をめぐる事件史 (宝島社文庫)

心霊写真 不思議をめぐる事件史 (宝島社文庫)

心霊写真 (宝島社新書)

心霊写真 (宝島社新書)